背中で語る、伝統の美学【袢纏(はんてん)】。江戸の火消から現代の万博まで愛される「袢纏」の魅力

もう年末ですね。この1年を振り返ると、私にとって最も大きな転換点は、やはり弊社に入社したことでした。入社して驚いたことのひとつが、祇園祭の賑わいです。

祇園祭では、各山鉾町の人々が袢纏(はんてん。半纏)を着ます。どのお祭りでも同様に、こうした装いが“関係者である証”となります。袢纏をまとうことで、自分も周囲も、その集団の一員であることを認識できます。その“袢纏パワー”にはとても驚かされました。

祇園祭で町内の方々が纏う姿や、職人が仕事場で羽織る姿には、日本の粋が凝縮されています。また店頭では、袢纏を見た海外のお客様から「これを買いたい!」と声をかけられることも多く、日本文化を象徴するアイテムとしての魅力を実感します。

こうした魅力に触れるうちに、袢纏についてもっと深く知りたいと思うようになりました。

今回は、この袢纏の豆知識についてご紹介したいと思います。

袢纏とは?特徴について

さて、袢纏とは何かを簡単にご紹介いたします。

袢纏は和装の上に羽織る外衣の一種で、羽織と同じく衽(おくみ)がなく、襟を折らないのが特徴です。

その原型は、江戸時代の厳しい天保の改革による倹約令がきっかけで庶民に普及しました。羽織の着用が制限された結果、その代用品として広く用いられるようになったのが袢纏です。

特に皆様にも馴染み深いのが、「印袢纏(しるしばんてん)」ではないでしょうか。

印袢纏とは…

  • 鳶職・大工・左官など、職人たちが仕事着として着用した袢纏
  • 背中に屋号や家名を白く染め抜いたもの

加賀鳶を描いた江戸後期の絵にも、印袢纏の勇ましい姿が見られます。

加賀鳶の圖(江戸時代後期)画:歌川豊國-国立国会図書館より引用

こうした仕事着の袢纏には、人の背筋を伸ばすような“格好よさ”が宿っています。

私自身、前職で店名の刺繍が入ったコック服に初めて袖を通したとき、胸が高鳴るほどの感動を覚えました。
さらに常連のお客様から「ついにコック服になったんだね」と声をかけていただいた際には、自分の成長を認めていただけたようで、誇らしさが込み上げたのを今でも鮮明に覚えています。

袢纏を羽織る職人の姿にも、きっと同じような「誇り」が宿っていたのだろうと思います。

袢纏製作の流れ

オリジナル袢纏を製作する際には、生地、サイズ、文字、そして染め方など、決めるべき事項が多岐にわたります。

オリジナル製作では専用の型が必要なため、1枚だけ作る場合と複数枚作る場合では、1枚あたりの価格が大きく変わります。

また、襟にも文字を入れられるため、こだわり始めるとデザインがなかなか決まらないことも珍しくありません。
細かな模様が入る場合には、柄のつなぎ目の調整など、ほんのわずかな“微調整”が必要になります。

しかし、こうした試行錯誤もまた、特別な一着を仕立てる楽しさの一部といえるのかもしれません。

さまざまな袢纏

最後に、私が好きな火消袢纏や最近の袢纏についてご紹介したいと思います。

江戸時代の「火消袢纏」

江戸時代の町方では、鳶職(とびしょく)の人々が「組」をつくって火消しの役割を担っていました。彼らが着ていたのが、防火用の仕事着である刺子袢纏(さしこばんてん)です。

表地には籠目(かごめ)模様を型染めし、木綿を重ねて刺し子を施すことで耐火性と強度を高めていました。分厚く吸水性に優れたため、火事場へ向かう際に水を含ませ、身を守ったともいわれています。

火を鎮めた後には、裏地に描かれた華やかな絵を外に見せて市中を練り歩き、町人たちに無事を報告しました。

裏地を表にして着るのが、とても粋に感じられます。

衿には各組の名前が染め抜かれ、たとえば「平野組」であれば「平野」の文字が入ります。

現代の子どもたちが消防士や警察官の制服に憧れるように、当時の子どもたちもこの勇ましい袢纏に心を躍らせていたのではないでしょうか。

画像はすべて文化遺産オンラインより引用

(火消袢纏 紺木綿刺子地人物模様 江戸時代・19世紀/木綿・刺子・友禅染)

大阪万博でも袢纏が販売されていました

最近では大阪万博でも販売され、国内外問わず日本文化として愛されています。

   

江戸時代から活躍していた袢纏は、今も人々の心を掴んでいるのですね。

おわりに

袢纏は、日本ならではの素敵な衣服です。今回改めて、その魅力を実感しました。

弊社でも、祭り袢纏の製作を承っております。

ぜひ、特別な袢纏を作ってみませんか?

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